2018年度
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3月「期待する」
長い冬の先が見えてくるかのように日は長くなり、陽ざしも暖かになってきました。
いちょうさんがこの鈴蘭幼稚園で過ごす日々も残り一か月を切りました。卒園でなくても分かれが近づいている子どもたちもいます。さみしさや名残惜しさも感じます。しかし、そこには新しい始まりがあります。不安と同時に期待もあることでしょう。
幼児教育では、小学校までに期待されることがあります。幼稚園でも入園までにここまでできてほしい、ということを期待します。しかし、あるべき姿に人をはてはめてはいけません。人が期待に応えるのは、信頼関係があるからです。親との関係、教師との関係においても、人はありのままを受けとめられるからこそ期待に応えようとするのではないでしょうか。ですから、幼稚園で期待するのは、その子らしさです。その子らしさを大切にしつつ「こうあってほしい」と願うのです。
しかし、人は失敗します。期待に応えられないことや、過度の期待をしてしまいます。だからこそ、悔い改めとゆるしが必要です。今月の聖句は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共にいる」(マタイによる福音書28:20)です。いつでもどこでも私たちを知っていて見ていてくださる方がいるのです。なによりも、わたしたちを赦してくださる方がいるのです。イエスさまのお弟子さんたちも失敗しました。しかし赦されてはじめて、イエスさまの期待に応えて新しい生き方をすることができたのです。
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2月「響き合う」
ワクワクした気持ちで迎えた新年も半月が過ぎてしまいました。大人は月日の過ぎる早さばかり気になるかもしれませんが、子どもたちは、朝から晩まで、好きなことに没頭したり新しい発見のある日々です。わたしたちも幼かった頃は一日がとても長かったのではないでしょうか。
さて、幼稚園の教師たちは、子どもたちの成長についていつも相談をしています。いちょうさんが小学校に行くことが意識されます。また、たんぽぽさんも一年が過ぎようとしてその成長の様子を気にします。言葉のこと、運動能力のことなど。そうした報告を聴きながら、子どもたちには独特のコミュニケーションがあることが分かります。大人はとかく言葉がすべてになりがちです。しかし、言葉はたくみではなくても、子どもたちは心を通い合わせます。つらい思いをしているお友だちによりそったり、誰かにそばにいてもらうことで安心します。そんな響き合う感覚が子どもたちの中にはあるように思えます。
今月の聖書の言葉は、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12:15)です。子どもたちと共に、わたしたちも共に喜び、共に泣き、誰かと響き合う感覚を大切にしたいと思います。
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1月「夢中になる」
クリスマスがもうすぐ。子どもたちは、本当のクリスマスを体験しています。イエス赤ちゃんの誕生を楽しみにし、自分だけの幸せではなく、他の人たちと分かち合うことの喜びを感じつつあることでしょう。
さて、寒さが本格的になり、風邪などがはやりつつあります。クリスマス、年末年始のあわただしさの中でも、子どもたちにとってゆったりとした落ち着いた時が必要なことと思います。
1月の保育テーマは「夢中になる」です。この時期は、お正月遊びなども幼稚園では取り入れていきます。以前、幼稚園の子どもたちが、なげ独楽を上手に回しているのを見て驚きました。今年もお正月遊びにいろいろと夢中になることでしょう。そして、楽しいことや自分がするべきことに夢中になることは、その子の成長を促します。
一方、私自身が夢中になったことも振り返ります。電車やバスの運転手になりたかったり、マンガ家、音楽家、科学者になりたかったこと、そして、変わった形の石や化石を集めたり、アリジゴクやヤモリ、カマキリなどを飼った事。それに応えて、父から『マンガの描き方』(手塚治)をもらい、母にはオルガンの手ほどきをしてもらったりしました。それらは、良い思い出となるだけでなく、親子の関係を育み、自分を成長させる糧となったように思います。
そして、夢中になって求めれば、なんらかの答えが与えられてきたと思っています。まさに「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ7章7節 1月の聖句)です。神様が必ず良いものを与えてくださると信じ、大人も子どもも夢中になれるものに出会いたいものです。
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12月「喜び合う」
秋がすっかり深まり、木の葉が色づき、葉が残る木々も少なくなってきました。
子どもたちは、どんぐりや木の葉でも遊びこみました。今年は、さつまいもが豊作で、収穫の豊かさを味わいました。
そして、いよいよ冬が到来します。夕方暗くなるのが早くなりました。寒い冬、風邪やインフルエンザにも気を付けなくてはなりません。
その中で、楽しみなクリスマスが来ます。サンタクロースのプレゼントやごちそうも楽しみですが、幼稚園では、なによりもイエス様のお誕生をお祝いし、わたしたちの心にイエス様をお迎えするときを大切にします。
暗い出来事が多い中、子どもたちの未来は決して明るいものばかりではありません。その中で子どもたちには希望を持って生きてほしい、と願うものではないでしょうか?
イエス様がお生まれになったローマ帝国の支配下のパレスチナ地方もまた不安に満ちた時代の転換期でした。力が強い者、能力がある者、要領がいい者が重宝され生き残る一方で、見捨てられていく人々もいました。その中でイエス様の生涯は希望となりました。苦難があっても人間らしく生きるすばらしさと、どんな人にも生きることが許されている世界を示されたからです。
今月の聖句は「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイによる福音書2章10節)です。東の方から長い旅をしてきた学者たちを導いたのは星でした。その星が救い主であるイエス様のいる家を示したのです。旅の苦労が報われた学者たちの喜びが分かります。その喜びと同じ喜びがわたしたち一人一人にも用意されているのです。
アドヴェントを過ごし、クリスマスを共に喜び合いましょう。そして、一人一人の心に希望の火を灯しましょう。
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11月「遊びこむ」
運動会は雨で順延となりましたが、秋の空の下で、子どもたちはのびのびと体を動かすことができたようです。その後も、運動会ごっこは続き、綱引きをしたり、竹馬にチャレンジする子もいたり、子どもたちはいつでも遊びに夢中です。
さて、今月の保育のテーマは「遊びこむ」です。「遊びこむ」とは、より深く遊びに集中し、想像力を養い、創造性、自主性を育むことです。さらに「遊びこむ」ことで、友だちとの関係も深められていくことでしょう。
そして、今月の聖句は「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(ヨハネによる福音書15章1節)です。ここでは、イエス様がご自分をぶどうの木になぞらえています。続けて「あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(5節)と言われます。それは、わたしたちは「イエス様」という幹、根っこをもたなければ、実を結ばない、ということです。今の子どもたちにとって根っこを持つ事とは、「遊びこむ」ことです。さらに、「遊びこむ」自らの姿が、大きな愛に支えられていることを体験的に知ることです。
「自分らしさ」が「愛」によって支えられていることを知っている者だけが、実を結ぶのです。愛をもって、世界を創っていくことができるのです。
言うまでもなく、幼稚園では、子どもたちが遊びこめるように環境をととのえ、「遊びこむ」姿を支え、子どもの自主性、創造性を守ります。寒くなってきました。健康管理にも気をつけながら、この大切な時期を共に過ごしていきましょう。
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10月「取りくむ」
かつてないほどの暑い夏が過ぎ、すっかり秋の風に包まれています。しかし、自然災害の脅威からは免れ得ません。9月は、北海道で大地震がありました。他にも、不安に思ったり、心痛める出来事が続いています。関係される方々の慰めと平安を祈ります。
さて、秋のバス遠足では、スカイパーク子供広場で、子どもたちはいろいろな遊具で遊びました。バッタやトンボ、チョウを追いかけたり、かくれんぼや鬼ごっこもしました。丸太わたりやスカイロープで遊ぶ子どもたちが、「見てて」と声をかけてきました。
誰かが自分を見ている、知っていてくれる、ということは、子どもに大きな安心感を与えるのではないでしょうか。特に愛する人に見られているということで、子どもは新しいことにチャレンジする勇気が与えられるに違いありません。それは、子どもだけに限ったことではないはずです。大人であるわたしたちも誰かに知っていてほしいことがあると思います。そして、たとえ人は知らないことでも、神様がわたしたちを知っていてくださるのです。その神様を知るとき、私たちは恐れから自由にされ、平安のうちに自分の課題に取りくむことができます。
今月の聖書の言葉は「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙一3章6節)です。子育てにおいても、最後に成長させてくださるのは神様の業である、と知るならば、育てる側にも平安が与えられることでしょう。すべてを自分のせいだと責めたりする必要はありませんし、自分を過信したり、自分を卑下することから解放されるからです。
そして、もうすぐ運動会です。子どもたちが、体を思い切り動かして取りくむ姿をしっかりと見ておきたいものです。親に見られていることで、安心感と勇気を得ていくように。その取りくんだことが自信につながるように。
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9月「弾む」
この夏は、かつてないほどに暑く、また台風など豪雨の被害も各地でありました。被害にあった方々の一日も早い回復をお祈りしています。
さて、夏休みが終わりました。子どもたちにとって、またご家庭にとって楽しい思い出ができたでしょうか。
夏のお預かりで、子どもたちの様子を見ました。みんなで水遊びをしている時でも、一人で虫を探す子や、図鑑に夢中な子がいたり、ひとりひとり、自分の思いのままに過ごす様子にうれしくなりました。厳しい夏であろうとなかろうと、子どもたちは、興味のあることに心を動かし、身体を弾ませます。弾む心と体は、生きる力にあふれているしるしです。そして、私たちは、その生きる力を与える人や自然など様々な出会いを用意できればと思います。
さて、9月の聖句は「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」(ルカによる福音書19:6)です。ザアカイは、ローマ帝国のために税金を徴収する役人のトップでした。それゆえ同胞のユダヤ人からは憎まれ、仲間外れにされていました。そのザアカイにイエス様が「今日、あなたの家に泊まりたい」と声をかけられたのです。木の上からイエス様を見ていたザアカイは、その言葉に心弾ませて急いで降りてきたのでした。
9月も、喜びに満ちた出会いが、子どもたちを待っています。運動会の準備も始まります。心と体を弾ませた子どもたちのチャレンジがはじまります。
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8月「ゆったりと」
暑い日々が続くさなか、夏休みに入ろうとしています。
ご家庭でも旅行や楽しい計画があることでしょう。子どもたちと楽しい思い出をつくることはとても大切なことです。
しかし、特別なことだけでなく、子どもたちが日々リズムをもって暮らすことが大切です。
一方、猛暑とあわせて西日本豪雨被災地の様子に、子どもたちも心を痛め、お祈りをしています。この世界には多くの災害があります。ある人は「災害の対極にあるのは災害のない社会ではない。災害があっても助け合うことができる社会だ」と。思いがけないことは誰にでもありますが、どんな状況でもひとりぼっちでないことを知っている人は希望を持っていきることができます。イエスさまは恐れる弟子たちに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ6:50)と言われました。イエスさまが一緒にいてくださるので、ゆったりとした落ち着いた安心に導かれます。
いちょうさんは、サマーキャンプを終えて、お友だちと一緒だと安心だ、という気持ちが与えられました。他の人のことを自分のことのように考えることができる気持ちも芽生えたのではないでしょうか。
平和な日々に感謝するとともに、平和を脅かすことが多々あります。子どもたちの心の奥底に新しい出会いやチャレンジを恐れない安心に満たされるように、愛の交わりを育みたいものです。
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7月「交わる」
梅雨に入っています。季節外れともいえるような台風があったり、大きな地震があったり、思いもかけない事件で、人のいのちが奪われていく現実がありました。わたしたちは揺り動かされています。その中で、ただ立ちすくむしかなかったり、その現実を他人ごとにしていくしかないのでしょうか。
イエス様は、そのような現実の中でこそ祈ることの大切さを教えられます。イエス様の弟子たちは「主よ、…わたしたちにも祈ることを教えてください」(ルカによる福音書11:1)と願いました。「祈り」とはなんでしょうか。まず「祈り」は教えられるものだ、ということです。心に湧いてくる願望や期待だけが「祈り」ではなさそうです。イエスさまは弟子たちの求めに応じて、「主の祈り」を教えてくださいました。そこには、赦すこと、とりなすこと、神さまの御心がなることを祈ります。一方、祈りは、感謝や賛美や驚きに裏打ちされています。様々な出来事があっても、神さまに守られ導かれている驚きは、賛美や感謝を生み出し、神さまへの信頼を強めます。祈りは神さまとの信頼関係を持つことです。
子どもたちは、身の周りのことに信頼しています。生まれてすぐに自分を抱っこし話しかけてくれる存在を通して安心感を得てきたはずです。親や家庭の交わりの中でその信頼を育んできたことでしょう。さらに、幼稚園での友だちや先生との交わりを通して、その信頼がさらに強められていきます。
幼稚園では、信頼がただ人との関係の中だけではなく、自分を取り囲むすべての世界に開かれていくことを願います。信頼をもって揺るがない平安の中に生きること、それがこの世界を生き抜く力になるからです。生きる喜びは、信頼ある交わりを通して培われます。
そして、愛の交わりの中にある人すなわち「愛されるために生まれ、愛するために生まれてきた」と言える人こそ、希望ではないでしょうか。
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6月「感じる」
草花や木々の新緑が鮮やかです。先日の遠足でこどもたちと北アルプスのすばらしい眺めに臨みました。また、燕の巣作り、子育てがはじまりました。古い巣にやってきたり、新しい巣をつくるものもいます。夏が近いことを感じます。
こんなとき、次の言葉を思い起こします。
「一羽の燕が春を呼ぶのではない、と言われる。しかし、すでに春を感じた燕は、飛び立つことなくじっと待つことなどできようか」
誰かと足並みをそろえることばかりに気持ちが向くと、自分らしさを見失ってしまいます。感じたままに表現したり、感じたことをもとに動いていくことが大切な場合もあります。
さて、イエス様は言われます。「空の鳥をよく見なさい。…あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」と。(6月の主題聖句。マタイによる福音書6章26節 新約聖書10ページ)
幼稚園では、この季節、子どもたちに自然に親しんでほしい、と願いますが、そんな願いをこえて、子どもたちはいつだって自然に心を向けているようです。先日も、つつじの花を集めたり、だんごむしやアゲハの幼虫やさなぎに興味をもち、カマキリの卵がかえったことなどに心動かしている様子を聞きました。新しい葉っぱは「ふわふわしてるから触ってみて」という子どもいました。
一方、子どもたちをとりまく状況は、決して楽観できるものばかりではありません。先ほどの聖句に続いてイエス様は「だから、思い悩むな。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、すべては与えられる」と言われます。それは、思い悩みに押しつぶされるのではなく、神様が望まれる世界を求めることに意義があることを示します。
他者を思いやる感性は、自然から深く感じとる心とも関係があります。子どもたちは、より大きな未来を生きる存在です。その未来が、平和でありますように、神様の望む世界でありますように、と祈るとともに、おとなであるわたしたちも、その子どもたちとともに未来をつくる感性を育むことができればと願います。
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5月「動く」
「風薫る五月」と言われます。青葉の間を吹き抜けるさわやかな風を感じます。
風に包まれて、子どもたちは、いたるところで遊んでいます。階段の下で、おうちごっこ、園庭でどろだんごをつくっていたり、「おやま」やジャングルジムに上ったりしています。静かに、ピアノを聞かせてくれる子もいます。
たんぽぽさんはもちろんのこと、いちょうさん、すみれさんだって、この4月の環境の変化にとまどったことでしょう。でも、今は慣れつつあります。
そこで、ゴールデンウィーク。緊張した心と体をときほぐしていけたらいいですね。
さて、5月の幼稚園では、たんぽぽさんのお弁当がはじまります。遠足もあります。そして礼拝もはじまります。
礼拝では、体よりも心を動かす時だと、言えるでしょう。お祈りに心を合わせます。さんびかを歌い、イエス様のお話を聞きます。神様とお話する時間を持ちます。
でも、すんなりとその時間を持てるとはかぎりません。礼拝のある日は幼稚園に行きたくない、という子どももいます。でも大丈夫。神様がかならず導いてくれます。違和感を感じたり、変化のあるところには、人の成長の鍵が隠されているものだからです。
教会では、ペンテコステという時を迎えます。この日は、イエス様のお弟子さんたちが、聖霊を受けて、世界中にイエス様のことを伝え始めたことを覚えます。聖霊という言葉は、「風」「息」と訳すこともできます。神様からの風が、お弟子さんたちに勇気をあたえ、外に動き出す力を与えたのです。
考えてみると、わたしたちが、地面を自由に歩いたり駆けたりできるのは、揺るがない大地があるからです。そのように、揺るがない神様の愛があってこそ、体と心を自由に動かすことができます。神様からの風は、ひらめき(インスピレーション)という形でもやってきます。
子どもたちは、その風に吹かれて、外の世界だけでなく内なる世界にむかっても心動かされる時を迎えます。自分の好きな人と出会ったり、好きなことを発見したり、興味をもったり、かかわろうとするでしょう。
子どもたちを見守るわたしたちも、風に導かれて、自分自身の心と体をも動かす時です。
神様の祝福と導きの中で、この5月も過ごすことができますように祈ります。
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4月
梅が花開かせ、桜の花も盛りを過ぎました。日が長くなり、初夏かと思うほどの陽気があります。
寒かった冬の日々に比べると、なんとなく気持ちが前向きになります。
温かな日差しに包まれると、心がうきうきするように、温かな人の思いに触れると、わたしたちの気持ちも温かにされ、前向きになるのではないでしょうか。
今年度のキリスト教保育の年主題は「イエス様と共に生きる~愛の交わりの中で」で、主題聖句は、「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」(ヨハネの手紙一 4章11節)です。また、4月のテーマは「包まれる」です。「鈴蘭」では「たんぽぽ」さんが入園します。これまでの「たんぽぽ」さんが「すみれ」さんに、「すみれ」さんが「いちょう」さんになりました。それぞれに大なり小なり新しくなっています。こどもたちは、愛に包まれてこそ、日々を楽しくうれしく過ごすことができます。やんちゃに飛び回っていても、反対に、しずかに自分だけの世界に入り込んでいても、誰かの愛に包まれている安心感があるからこそできることです。ご両親の愛、ご家族の愛、友達や先生の愛に包まれていることが大切です。その安心感こそ、希望をもって過ごすための土台です。この幼稚園が子どもたちにとって安心できる場所であるように努めます。それだけでなく、この世界も、子どもたちにとって安心できる場所であるように、と願います。
一方、大人であるわたしたちも子どもたちをいつでも包み込めるほど愛に満ちているわけではありません。この社会においても愛とはほど遠い出来事が起こっています。
だからこそ、神様の愛に包まれる必要があります。人は愛に包まれてこそ、他者を愛することができるからです。子どもたちが愛に包まれるように、わたしたちが学ぶこともあるはずです。
今年度もよろしくお願いいたします。
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