3月「望む」
2011年度、子どもたちと過ごす園生活もひと月をきりました。その、これからの日々には、子どもたちにもおうちの方たちにも私たち保育者にも、今までに増して特別な想いが込められているように感じます。明らかに迎える別れの場面を感じつつ、次のスタートを楽しみに待ちわびる様子もあり、不安と期待の中でも、特に今年の子どもたちは前向きな気がします。その時を、大切に丁寧に和やかに過ごしていきたいと思いつつ、一年を振り返る時期が来ていることも実感です。
鈴蘭幼稚園では、“感謝する気持ち”を育てることを大切にしています。園生活に限らず、どんな場面でも大切なことでしょう。感謝できるということは、自分に注がれている愛を知ることですから、大切な生きる力です。
みなさんは、これからの日々や子どもたちの歩む道に、何を望まれますか。気づかない中でも、たくさんの大小さまざまな望みをお持ちのことと思います。望むこと、望みのあること、望まれること――すべてが前向き要素です。充実した時を過ごすため、安心して遊びに集中できるよう、また、根っこが育ちこれまで培われた力を発揮できるよう、子どもの思いに寄り添いながら、新しい生活に期待するものでありたいと願います。
一人ひとりに、生涯に渡って神さまが手を差し伸べられることを信じ、見守りと周囲の大きなお支えによって過ごしてこられたことに感謝し、この年度も終えたいと思います。やって来る新しい年を精一杯に生きる子どもたちのためにー。
2月「育ちあう」
「合う」という言葉には相手が要る。共存し共有し許容する言葉。「話し合う」「考え合う」「分かち合う」「認め合う」「助け合う」などなどー。
相手があっても一方的では成り立たない。遊びの中で、その年齢なりに、その個性なりに、お互い自分ではないあなたなんだということを「感じ合い」、たまには「怒り合う」「叩き合う」「泣き合う」ことも経験しながら、自分の大切さだけでなく、相手を信じて「育ち合って」いる子どもたち。
この、私たちの宝、愛してやまない子どもたち。粗削りだけれどその分可能性が無限大の未来宝石になる原石たち。幼くても粗削りでも、お互いを認め合って育ち合って生き生きと日々を送っています。
このたよりに書かせていただいている、キリスト教保育の月主題は、子どもたち主体のメッセージであるとともに、保育者、保護者にも意味深く自己を律する一助になっていると私は感じています。2月の保育主題“育ちあう”は、独りでは生きられない人間として、一生尽きることのない謙虚に向き合う課題でしょう。
子どもたちの育ちばかり気にして、自分はどうでしょうか。視野が狭くなっていないだろうか。子どもたちのために協力し合っているだろうか。大人として育っているだろうか。そして何より、いくつになっても持っている可能性を自ら閉じこめていないだろうか。
私たちはみな、神さまから愛されています。自分が愛されて存在を喜ばれていることを心に留めることができれば、それぞれの考え方や個性の違いの中でも、すてきに育ちあえる。そんな神の子で、私もありたいと思います。
1月「とりくむ」
自発的に、自分から意識してものごとに向き合うこと、そしてその行動の結果どうなるかを考える――「取り組む」という行為は根気のいる作業です。それを、保育者とのかかわりとともに、子どもたち同士の関係の中にも活かし、理解し合い力を合わせて成し遂げていくことを経験してきました。
この時期、それぞれの年齢で、またそれぞれの個性の中で、たくさんの子どもたちが「あきらめずに取り組んでいく」ことができるようになってきました。ひとつ新しい生活に踏み込んだばかりの頃とは、体つきも顔つきも大きく違ってきています。
継続的な取り組みは、ますます深められたものになっています。その一つひとつの経験の中で培われるものは、これからの人生を生きる力となりしなやかさとなっていくでしょう。
子どもたち一人ひとりに尊重されるべきペースがあります。園ではできる限り本人から発せられる気持ちを大切にしたいと考え、そのために、時には分単位ではなく時間単位で待つこと、聴くこと、話し合うことをしています。年次が上がるほど、子どもたち同士でその時間を共有できるようになるようですが、友だちの気持ちを尊重しながら待ち、じっと耳を傾ける姿には感心します。
ご家庭でも、大人が先に答え(自分の思い)を出してしまうのではなく、急かして本意ではない言葉を促してしまうのではなく、わが子を信じて尊重して待ってみませんか。僕はー、私はー、の先に発せられるすてきな想いをー。
ご家庭で迎えるクリスマスやお正月のある冬休み。子どもたちが園生活をしばし離れて、おうちの方々と豊かな時間を過ごし、それに伴う穏やかな心で新しい年を迎えることができますようにお祈りいたします。
新年、冬休みの家庭での様子を嬉しく聴きながら、また新たな冬ならではの遊びに取り組む姿を楽しみにしています。
12月「感謝する」
鈴蘭幼稚園では、"感謝する気持ち"を育てることを大切にしています。園生活に限らず、ご家庭でも、どんな場面でも、その気持ちが培われることを望んでいるでしょう。
感謝の気持ちが大切なのは、すべての人がその気持ちの大切さに気づいたとき、平和な世の中になると思えるからです。大変なことやつらいことがあっても、責めたり許せなかったりする相手がいても、自分の思い通りにならなくて苛立ったりしても、一歩謙虚に冷静に熟考してみると、周りには"ありがとう"を伝えたい事柄で満ちあふれています。ひとつの物事を、「あら探し」のスタンスから見るのと「感謝」のスタンスから見るのとでは、まったく違った見え方をします。感謝スタンスだと文句は出ません。
大きな災害のあった今年は、当たり前に営んできた衣食住が、実はどれだけ恵まれていることかを強烈に考えさせられています。生活を見つめ直す、心を確かめ直す・・・私自身が、はたして愚痴や文句ばかりになっていないか、要求ばかりが増えていないかを日々考えながら過ごしたいと思います。なにより、神さまが愛する子どもたちとともに、神さまの見守りの中で暮らせること。これほど大きな喜び、感謝はないのですからー。
11月2週目には感謝祭礼拝を守りました。秋の豊かな実りとともにおささげいただいたおにぎり献金は、46,143円になりました。子どもたちの内に根づいた温かい想いと、おうちの方々との祈りに合わせて、活きる形で用いたいと思います。後日ご報告いたします。
ありがとうございました。
11月「目を凝らす」
2011年度が始まってから半年以上が経ちました。この時間をみなさんはどのように過ごしたでしょうか。
秋の深まりと共に子どもたちには、目を見張るような豊かさと確かな手ごたえが感じられます。この半年の日々の生活や経験や祈りの中で育ちが強められているのです。いろいろな出来事や葛藤をともに乗り越えながら、尊重し、認め合い、頼り合う中で、互いの存在が互いに必要となっているのです。子どもたちはなんともすてきに"共に生きて"います。
毎月、キリスト教保育の主題に沿ってメッセージをお伝えしていますが、今私は、大人ゆえに陥ってしまう落とし穴の怖さを感じています。子どもたちには実に真っ直ぐに培われていくものが、人的知恵に惑わされた大人は逆に失っていきます。見えないものに目を注ぐことができなくなっているからです。
子どもたちの"ありのまま"を受け入れようと努めることで子どもから学び、その姿勢が子どもを育てることを思うと、私たち大人がすべきことは自ずと見えてくるはずです。これは、他人事ではありません。"誰か"のことについてではなく、各々一人一人が、この私自信も真剣に考えていくべき課題です。
「万事が共に働いて益となる」という今月の聖句、神さまの御旨にかなって成されるには「熟慮」と「目を凝らす」ことが必要だと結ばれています。収穫のとき、豊かな恵みと共に、私たちをも育んでくださる神さまの愛に感謝しつつ、熟慮をもって共に働き、深まりゆく秋を感じながら、一日一日目を凝らしてまことを見、丁寧に過ごしましょう。
10月「考える」
「考える」という動作をするときに、つと立ちどまったり一点をみつめたりすることは、私たちの日常によくあることです。子どもたちにもそんな姿が多くみられるようになりました。友だちとの遊びの中で、製作に取り組んでいるときに、運動遊びの挑戦で、確かに子どもたちは、考え工夫しているのです。
先月のすずらんだよりに書いた園の教育目標、「自分で考え、自分から行動できる子ども」。考えることは集中力が必要です。さえぎられることなくじっくり取り組める環境、自ら選び急かされることなく考えるたっぷりの時間。
「考えること」「工夫すること」は、そういう生活が保障され、日常の継続の中にこそ育まれるもの、培われるものであり、そんな力が引き出されるようなまなざしで寄りそいたい・・・私たちの大きな願いです。
秋空のもと、体を動かす挑戦にはさらに熱が入ってきました。そこでも考え工夫をして、そして精一杯努力しています。体が生き生き活動している内面で、心も輝き成長しています。できたこと(結果)もともに喜びたたえ、またプロセス(過程)の中で育まれた成長もみのがさずに、大いにほめてあげたいものです。
9月「ためす」
2学期が始まりました。暑い夏休みでしたが、園生活とは違った「その時」をその場所場所で豊かに過ごしていただけましたか。
私は、震災のこと、戦争のこと、エネルギーのことなど、特にいろいろなことを考え続けた夏でした。幼稚園に元気な声が戻ってきて、また改めて生活の基本のパワーを子どもたちからもらっていることを感じ、この場所に立たせていただけることを感謝しています。
鈴蘭幼稚園の教育理念に基づいた教育目標の主題は、「自分で考え、自分から行動できる子ども」です。子ども自身が考え、やってみることができるのは、幼稚園ならではでしょう。園での生活が楽しくなるのは、それが十分にできるからです。子どもたちの「やってみよう」は無限大です。その発想の豊かさや意欲にはどきっとさせられます。「やってみる=ためす」ができる幼稚園でありたいと、豊かに響く子どもたちの声を聞きながら、また改めて心に刻みました。
9月はまた、季節の移り変わりを感じながら、遊びの中で体と心を十分に動かせるいい季節です。子どもたちが安心して、失敗してもだいじょうぶと思えるように「ためす=挑戦」してほしいと願います。
子どもたちは園生活で、神さまに守られながら、人として豊かに生きていくための大切な力を育てています。私たち大人も、人の知恵の中で派生する窮屈な思惑から解放されて、さあ、2学期ものびやかに過ごしましょう。
8月「ふれあう」
いちょうさんのサマーキャンプ二日目の朝は、屋外での礼拝を守ることができました。神さまからのメッセージは、100メートルを超すような巨木ジャイアントセコイアが、根を深くは張らないのに倒れないのは、単独では育たず数本が地面の下で手をつないでいるからー。いちょうさんもそれぞれの係を認め合って感謝し合って、みんなですてきなキャンプを創りあげられたんだね。
こどもたちは常にたくさんのことに、心に、ふれあって暮らしています。目に見えないけれどかけがえのないものを大切に育んでいます。大人たちも、こどもたちがくれたせっかくの出会いを、ふれあいを、こどもたちのように素直に謙虚に受けとめませんか。心をかよわせてー。
8月のキリスト教保育誌からの抜粋。「こどもたちのあそぶ姿を見て、大人たちが愛と感謝と信頼と純真さを失くしている自分たちを反省するように・・。」被災された方々は、強い絆のもとに復興の道を懸命に歩んでおられます。私たちは、日々こどもたちのあそぶ姿を見守ることのできる恵みの中にいます。今このときだからこそ自己は暫し内にしまい、こどもたちのために本当の幼児教育の復興を考えるときではないでしょうか。心をかよわせてー。
もうすぐ夏休みです。園の生活の中にはない"ふれあい"を大切にお過ごしください。夏休みならではの家族でのゆったりした時間を楽しみましょう。大切な"このとき"は、もう一度はやってこないのですからー。
夏休みの間にすてきな自分に出会い、存分にふれあい、また二学期にさわやかに元気にお会いましょう。
7月「楽しむ」
私が鈴蘭幼稚園へ来て初めての秋に、おどけたような笑顔で、手足がちぎれんばかりに子どもたちとダンスを踊っていた教師に聞きました。「どうしたらそこまで没頭できるの。」まずは、子どもたちといることそれ自体が嬉しい。そして、自分も楽しくなければ子どもたちも心から楽しいと感じないということでした。その後、私自身なるほどと思える体験をしています。「相手をしている」といった感覚では、確かに自分が十分に楽しくありません。「楽しむ」ということは与えられるものではなく、自ら率先してそこへ身を置くことで、ますます気持ちが高まるものですね。
自分の子どももひとりの人格として、伝えたいことは真剣に、また遊ぶときは負けないくらい楽しんで、メリハリをつけてみましょう。
ここで、私の楽しみのひとつをお話しします。今このときのいろいろな姿の子どもたちを見つめていて、ふっと『この子が園を巣立つときは、どんな姿になっているだろうか―。』と思うことがあります。目を見張るような成長があったり、意外な個性が育まれていたり、その秘められた可能性は誰にも予測できません。それぞれに時期や表現が違っても、間違いなく豊かに育っていくことを思うと、本当にわくわくします。
子どもはおとなの笑顔が好きです。穏やかな顔を見て安心します。そんな子どもたちに、私たちが持っているさまざまな愛情とともに「一緒に楽しむ」という愛もたくさん注いでいきましょう。
6月「みつける」
この頃、子どもたちから「先生、白いお花みつけた!」「だんごむし、みつけてくる!」「ぼくだって、みつけられるよ!」といった言葉が聞かれるようになりました。これは、さわやかな季節の中で、ぐんぐん育っていく自然豊かな環境に包まれている恵みと、同時に、この時期を迎えて幼稚園での自分の居場所を見つけ始めた気持ちのゆとりから発せられる「生きた声」です。
すみれさん、たんぽぽさんに先だって新しい年の礼拝を守り始めたいちょうさんは、先週のイースター礼拝の日、いつも私たちを大きな愛で見守っていてくださるイエスさまの復活を想いながら、ていねいに作りあげたイースターエッグ探しをしました。
すみれさんは、いちょうさん、たんぽぽさんの喜ぶ顔を想いうかべながら計画し、昨日作ってくれたよもぎだんごのために何日かかけて一生懸命よもぎ探しをしました。
どきどきしながら過ごしてきたたんぽぽさんは、自分だけのマークがあるカバンやおべんとう箱にホッとするようです。これも自分だけのカバーがしてある連絡ノートを、お預かりする日も『これ一大事』と必死に探します。
私たちのまわりには、目でみつけられるもの=目で確認し合って分かち合える喜びと、心でみつけられるもの=心が通じ合って分かち合える喜びがありますね。有形のものを探すその目の先に、心の目を注ぎ、見えない大切なものをみつけようとする子どもたち。その瞳はキラキラ輝いています。
5月「動きだす」
なかなか緩まない寒さに肩をすぼめてカチカチになっていた身体も、いよいよ動きだしました。
子どもたちも少しずつ新しい環境やポジションに慣れ、さわやかな風の中で遊びに没頭できるようになってきました。経験を積んだためにありふれて見えるおとなには計り知れないくらい新鮮な"驚き"や"感動"が、日々子どもたちにはあるようです。その反応が大きくても小さくても、その子らしく自ら心を動かすことができるように、見つめている先のものを感じとって共鳴しながら、信頼して動きだす"とき"を待ちたいものです。
昨日は、青空のもと、みんなでお散歩に行ってきました。支え合う一歩を踏みだした子どもたち。その後、いちょうさんは園庭の山桜の下でお弁当を食べました。思いきり身体を動かした後の外でのお弁当。身体はもちろん心にもたっぷりと栄養が行き渡ったことでしょう。
そのいちょうさん、病気療養のためにしばらくお休みしていたお友だちが、久しぶりに顔を見せてくれたとき、まだ本調子ではないことを気遣いながら、でも会えた嬉しさを満面の笑みが語っていました。それぞれの想いを、心をこめて伝える姿に、鼻の奥がツ~ン。その後、そのお友だちが"オレ、てがみかく。「おいのりしてくれてありがとう。」ってー。"もう、こらえきれませんでした。
すてきな気持ちも確実に動きだしています。
4月「安心する」
3月に入ってからずっと足踏みしていた春が、ようやく近くまでやってきました。陽ざしに力が増し、木の芽の香りが漂い、うぐいすが手の届きそうな処で鳴いています。桜のつぼみもほんのりあずき色に丸みを帯びてきました。やっぱり春は希望にあふれています。
たんぽぽさんからすみれさんへ、すみれさんからいちょうさんへ、それぞれひとつずつ歩みを進めるすずらんの子どもたち。慣れた土地、仲良しのお友だちと別れる決心をして、ここすずらんで新しい生活を始める子どもたち。そして、初めてお母さんお父さんの手を離し、勇気を持って未知の世界へとふみ出す新入園の子どもたち。―――「だいじょうぶだよ。うれしいこと、たのしいことがたくさん待っているよ。」
今年度から、キリスト教保育の年主題がまた新しくなりました。
希望 ――愛の中を生きる――
昨年と同じように、神さまがお与えくださる月の保育主題に耳を傾け思いを寄せ、感じたことを毎月お伝えしたいと思います。子どももおとなもどの一人をもかけがえのない者として、愛し守ってくださる神さま。その愛には希望があります。
愛されること。子どもがこの時期だからこその自分らしさで、のびやかに過ごせること。一人ひとりが愛され、受け入れられ、喜ばれ、そのことによって「安心する」関係、時間、場所が保障されていること。私たち家族や保育者も、たがいに愛を持って支え合いながら築いていきたいと願っています。
今年度もどうぞよろしくお願いいたします。