学校法人 鈴蘭幼稚園

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園長のことば 2009年度

すずらんの花2009年度
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3月「願う」

今年度5月のすずらんだよりから、キリスト教保育の月主題について書き始めて、いよいよ年度末3月号になりました。

神さまが与えてくださった月の保育主題、「であう」「気づく」「たのしい」「ゆったりと」「おもしろい」「はずむ」「心が動く」「感謝」「かかわって」「ともだち」・・教師みんなで見つめ直し取り組んできました。そして、そこにはいつも"願い"がこめられていたことを今改めて感じています。

昨年から引き続いた年主題「"自分"を生きる」ことが、月のテーマの中に、その礎となる日々の暮らしの中にありました。この幼稚園がもっとも大切にしているもの・・一人ひとりが愛され、受け入れられ、喜ばれ、そして安心して自己実現していく・・ありのままのびのびと自分らしく・・心から願うものです。

いちょうさんは3月で園の生活を終えて小学校に進みます。どのような場にあっても、これからも、この"願い"が届きますようにー。

 

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2月「ともだち」

子どもたちに"ともだちってなぁ~に?"とインタビューしてみました。みんなまず、おともだちの名前を教えてくれました。"じゃあ、そのひとはどんなひと?"と聞くと、だいすきな~、だいじな~、たのしい~、おうちにくる~などの形容詞が飛び出しました。

いちょうさんへはちょっと難しい聞き方ー。"○○くん(ちゃん)にとって、ともだちってどんなそんざい?"言葉自体の意味はわからなくても、聞こうとしていることは伝わりました。すき~、やさしい~、いっぱいあそべる~。ある子が、"なかよしでー・・じぶんとちがってもいい、ぼくはそうおもうよ。"

保育者でさえ、子どもたち一人ひとりの違いを認め、それぞれの子どもたちを大切なかけがえのない存在であると真剣に感じて過ごしているかを日々問われる中、他の友だちとの違いを認め、お互いの存在を認めるという価値観を培っている子どもたちに、ハッとさせられ、そしてギュッと抱きしめたくなりました。

おともだち5人のそれぞれ好きなことを全部教えてくれた子。一人ひとりの個性を認識することでかかわりに幅が広がっています。子どもたちの、目に見えない"内なる充実"を見逃さないようにしたいものです。

 

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1月「かかわって」

かかわりを持つということは能動的な行為です。乳児期は、ほとんどが"してもらう"という受動的な生活ですが、年少~年中~年長と成長が増すごとに積極的に自分から他へ働きかける機会も増えていきます。さっと通り過ぎてしまうのではなく一歩踏み込んでかかわることで、取り組みが継続的になり深められていきます。

12月、子どもたちはいちだんと、"もの"や"こと"や"ひと"とかかわることの多い月でした。クリスマスプレゼント作り、アドベントやクリスマスの礼拝、降誕劇・・・。そこで今までとはまた違った交わりを持ったお友だちや教師や教会の方々。ただ提案・提供されたことを"やる"のではなく、考えて心をこめて積極的に"かかわって"成し遂げたことで生まれる自信と信頼。子どもたち一人ひとりの顔が輝いていました。

新年、この冬休みの家庭での年末年始の様子を楽しく聴きながら、また新たな活動へのかかわりも大切に育てていきたいと思います。

 

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12月「感謝」

11月初め、子どもたちとおうちの方たちが持ちよってくださった「恵み」を囲み、感謝祭礼拝を守りました。その恵みを感じながらのとん汁作り、そして全園児いっしょのとん汁パーティー。あらためて神さまからの恵みに感謝し共に過ごした3日間でした。

その感謝の気持ちを、深まりゆく秋の日々の中でさらに心に感じながら、神さまが愛する私たちのために最も尊いおくりものをくださった日(クリスマス)を「待ち望むとき(アドベント)」を過ごします。

おうちの方たちも礼拝があります。子どもたちも礼拝があります。おうちの方たちといっしょの素敵な礼拝もあります。共に祝えることに「感謝する礼拝」をまた守ることができますように…。

感謝する心は、人をおだやかにし謙虚な気持ちをもたらします。水曜日のおにぎりの日に思いを込めてささげてくださった「おにぎり献金」。衣食住を守られ生活の営みを支えられていることへの親子で共有された感謝の思いは、49,568円にもなりました。大切な思いが届く形で外部献金したいと思います。

ありがとうございました。

 

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11月「心が動く」

子どもたちは、何を見ても何を聞いても、何に触れても何を嗅いでも、心は何かを感じているはずです。表現力という枠で見たとき、それが地味な反応に見えたとしても、心の動きまでが小さく地味であるとは限りません。逆に、見つめる大人の前で、幼いながら期待に応えるかのように大きなジェスチャーで表現するときもあります。どちらも見逃してはならない、けなげでいとおしい姿です。

毎日行われる生活の繰り返しの中で、生活の基盤としてなじんだ空間の中で、意識的にではなく自然に自分の居場所を見出していく子どもたち。安心して心が振れる環境であるために…、大きく豊かに動く心を育むために…、安定した保育=育ちを保つ日々であるために…、今実りの秋を迎えて、心新たに神さまの愛に立ち返り、教育の営みを見つめます。

過日、教師の研修がありました。長野市へ向かう秋晴れの道中、「外で思いっきり遊べるね。」「お散歩に行ったら気持ちいいよね。」などと幼稚園に心を残しながらも、一日しっかりと学びのときを過ごしました。園をお休みにして研修させていただいた感謝の気持ちの中で、私たち教師も心がたくさん動いた一日でした。

ありがとうございました。

 

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10月「はずむ」

春から夏にかけて体を動かすことに慣れて、たくさん歩けるようになって、プールや水遊びで体いっぱいはじけて、そして今、涼やかな心地よい秋の空気の中で、運動遊び、挑戦に夢中の子どもたち。今日は何をやろうかなー、何をクリアしようかなーと頭に描き、期待をふくらませて登園してくると、朝の支度をさっさと済ませ、すぐにホールや園庭にかけだす子どもたち。

「よ~っし!」「それっ!」「もう少しっ!」「がんばれっ!」「できたっ!」はずむ声、はずむ鼓動、はずむ体、そしてはずむ笑顔。

もりの部屋で制作に取り組んで、世界にたったひとつのたからものを完成させたときとはまた違った、身体からほとばしるようなはずむ声。聴いている、見ている教師たちの胸もはずみます。

今まで跳べていた跳び箱の段が、あるきっかけで跳べなくなったお友だちを、みんなで辛抱強く励ましながら待って…。そしてもう一度跳べたときの大歓声!そこには、自分だけでなくお友だちのためにもはずめるたくさんの心がありました。

 

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9月「おもしろい」

「おもしろい」…漢字では「面白い」と書きます。原義は、「目の前がぱっと明るくなる感じを表す」のだそうです。なるほどー、「白い」は明るさのニュアンスだったのですね。

8月、園生活をはなれて、家庭で…、旅先で…、おじいちゃん、おばあちゃんと…。いろいろなシーンでゆったり過ごした中で、子どもたちは目の前がぱっと明るくなるような表情をいく度見せてくれたことでしょう。

夏休み前にお友だちとやっていた遊びをなつかしく思い出しながら、元気な再会を喜び合い、夏休み中のそれぞれの経験を分け合って遊びがいっそう豊かなものとなっていく…。

園に持ち寄った夏の経験を、ぱっと目を丸くしながら明るい笑顔で話してくれる子どもたち。しばらくは心おきなく耳と心を傾けましょう。聴いているこちらは、目が細まりそうです。

 

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8月「ゆったりと」

以前私はよく友人から「生き急いでいる」と言われ、もう少しゆったり生きないと身体をこわすと忠告されました。

母の会だよりに、「いつも時間に追われている。しかし庭の水やりでボーッとするのがリラックス!」という自己紹介がありました。できそうでなかなかできない「ボーッ」。そのお顔を想像し、素敵だなぁと思いました。

寄り添う大人にゆったりした気持ちがないとき、子どもたちに「ゆったり過ごす」「じっくり遊ぶ」ことが伝わるでしょうか。おうちの方たちも私たち教師も、そんな時間をおろそかにしないくせをつけたいものです。

行動の計画は必要ですが、前方斜め下を見つめて『次はー?次はー?』と考えてばかりいると、視野が狭くなり過呼吸気味になります。たまに頭をあげて空を見あげ、ふうっと一息・・それだけでもプチリフレッシュになります。

「そんな時間ない!」は禁句にしませんか。

 

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7月「たのしい」

最近、"わぁ~!たのしい!!"と感じていますか。

先日、お弁当の時間に、すみれさんのひとりが「まきせんせー、わたし、おおきくなったらかんごしになるー。」すると、となりにいた女の子が「わたしは、まじょになるの。」そうしたら、今度は男の子が向こうから走ってきて「おれ、かぶとー。」

真面目な面持ちの子、みそっ歯でにっこり笑った子、当然だと言わんばかりの子。みんなまったく本当に、看護師や魔女やカブト虫になれそうで、なんて"たのしい"ことだろうと黙っていられず、近くの先生をつかまえては言い触らしていました。

こんなたのしいことが日々の子どもたちの中にあります。どきどきした"であい"から、まわりのことに"気づき"始め、その中で"たのしい"と感じることができるようになり探し求めます。私たち大人も同じではないでしょうか。

ただ、子どもたちは工夫の天才!もっとたのしくなるには…と工夫を凝らします。感心しつつ教えられながら、かけがえのない子どもたちが"たのしめる"時間を保障し、"たのしむ"心をわかち合いたいものです。

 

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6月「気づく」

始園、入園、転園でスタートした新しい生活の中でいろいろなものにであっていくうちに、だんだん自分だけの内へ向けた関わりから、外へ向けた関わりにも目を向けられるようになってきました。

幼稚園には、友だちがいて先生がいて自分だけじゃない生活に気づきます。話をしたり聴いたり、我慢したり譲ったりー。そうして人間関係を築いていきます。自分と違った生き物がいたり、雨の日や風の日があることに気づいて、自然との関わりも築いていきます。

人にふれ自然にふれて気づくことで自己の育ちをも築いていくようです。
それにしても、子どもたちは本当によくいろいろなことに気がつきます。時には、返事に困るような"どきっ"とした気づきや、胸が熱くなるような"ほろっ"とした気づきもー。大人も気づいてはいるのでしょうが、既成概念や固定観念が邪魔をしてキャンバスへの刷り込みが鮮やかでない=感動がうすい=気づきに気がつかない・・といったところでしょうかー。

子どもたちの"気づき"が無限大の白いキャンバスに色鮮やかに描かれることを願って、私たち大人もまだまだ子どもたちとともに大いに感動しましょう。

 

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5月「であう」

新しい年度がスタートしてひと月が経とうとしています。さわやかな風が香りとともにたくさんの春を運んできます。子どもたちは、少しずつなれてきた新しい生活の中で、持っている力を徐々に発揮し始めました。

お友だちとであい、遊びとであい、カラマツの園舎とであい、先生方とであい…。毎日に“であう”ときがあります。

4月17日に行われた母の会総会の礼拝の中で、松本教会の柳谷先生が種蒔きのお話をしてくださいました。道端に落ちて鳥が食べてしまった種、石だらけの土地に落ちて焼けてしまった種、茨の中に落ちて伸びられなかった種、そして良い土地に落ちて芽生え育って何倍にも実を結んだ種。春は種蒔きの季節でもあります。

人が何かとであうとき、そこには目には見えない種が蒔かれているように思います。そこからその相手(人だったり物だったりあるいは感覚だったりしますが)との関係が芽生え育っていきます。

成長させてくださるのは神さまです(新約聖書:コリントの信徒への手紙)が、私たちはかけがえのない子どもたちのために愛という水を精一杯注ぎましょう。そして、家庭が、園が、社会が、であいという種にとって“良い土地”であるように心をつくしたいと願うものです。

 

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4月「"自分を生きる"ことの始まり」

三月、年長児いちょう組32名が巣立っていきました。"ありがとう。心をこめて。そして、さようなら。"という卒園式での歌声がいつまでも心に残っています。

あの子たちは今、それぞれの小学校で、それぞれの小さな命の"自分を生きる"ことの次のステップを踏みだしていることだろう。一番遠くの京都の小学校へあがる大ちゃんが、おじいさんと一緒に掘った筍を送ってくれた。"ぼく、しっかり伸びていくよ"っていうサインのように。
そして春がきた鈴蘭にも新しく、小さな自分を生きることを始めた子たちを迎えて、新しいたんぽぽさん、すみれさん、いちょうさんが勢ぞろいした。
すてきな新しい春のはじまりです。

新しいことには希望があり、そして不安がともないます。新しく幼稚園生活をはじめる子どもたち、そしてお母さん、"うまくお母さんからはなれた生活にはいっていかれるかな。"新しくすみれさん、いちょうさんになった子たち、"うまくすみれさんできるかな。""しっかりいちょうさんできるかな。"不安から始まって、大丈夫、だいじょうぶの境地に至る経験、これこそ"自分を生きる"ことにとって一番大事な基本的な体験ですよね。

誰もが神様から愛されている存在どうしとして、"おはよう、だいじょうぶだよ。""だいじょうぶだよ、またあした。"と声をかけあって、大きな子育てチームの同志として今年一年一緒に歩みましょう。
どうぞよろしくお願いいたします。

 

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