学校法人 鈴蘭幼稚園

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園長のことば 2010年度

すずらんの花2010年度
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3月「感謝する」

2010年度、子どもたちと過ごす園生活はまだひと月程残っています。その、これからのひと月には、子どもたちもおうちの方たちも私たち保育者も、今までに増してまたさらに特別な想いが込められているように感じます。その時を、大切に丁寧に和やかに過ごしていきたいと思いつつ、一年を振り返る時期が来ていることも実感しています。

鈴蘭幼稚園では、"感謝する気持ち"を育てることを大切にしています。園生活に限らず、どんな場面でも大切なことでしょう。年度最後3月の保育者に与えられた"感謝する"という月主題を目にした時、はっとさせられました。

感謝の気持ちが大切だと思うのは、みんながそう思えるならば平和な世の中になると思えるからです。大変なことやつらいことがあっても、責めたり許せなかったりする相手がいても、自分の思い通りにならなくて苛立つ時も、一歩謙虚に"―――-でありがたいな。""―――ができてうれしいな。""―――に暮らせて感謝だな。"と思えたら、きっと優しく穏やかになれる。そう思ってきたつもりの自分が、はたして愚痴や文句ばかりになっていなかっただろうかと、まず自分を見つめ直すことを気づかされました。

この一年も、神さまの見守りと周囲の大きなお支えによって過ごしてこられたことに感謝します。そして、たくさんの"ありがとう"を感じながらこの年度を終えたいと思います。またやって来る新しい年を精一杯生きる子どもたちのためにー。

 

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2月「育ちあう」

聖書には「合う」という言葉がよく書かれている。「話し合う」「考え合う」「分かち合う」「認め合う」「助け合う」などなどー。

「合う」はひとりでは行えない。相手がいても一方的では成り立たない。遊びの中で、その年齢なりに、その個性なりに、お互いかけがえのない君なんだということを「感じ合い」、たまには「怒り合う」「叩き合う」「泣き合う」ことも経験しながら、自分の大切さにも気づき、相手を信じて「育ち合って」いる。

この、私たちが宝として愛してやまない子どもたち。幼くてやんちゃでおしゃまで、まだまだ粗削りの未来宝石になる原石たち。幼くても粗削りでも、お互いを認め合って育ち合って生き生きと日々を送っている。

このたよりに書かせていただいている、キリスト教保育の月主題は、子どもたち主体のメッセージであるとともに、保育者、保護者にも意味深く自己を律する一助になっていると私は感じている。2月の保育主題"育ちあう"は、殊更心に沁みる。

子どもたちの育ちばかり気にして、自分はどうだろうか。視野が狭くなっていないだろうか。子どもたちのために協力し合っているだろうか。大人として謙虚に育っているだろうか。ある子からの、「まき先生もぼくも神さまの子?まき先生も、イエスさまみたいに、おんなじにみんなのことが大好き?」
――間髪入れずくしゃくしゃの笑顔で答えられる神の子で、私もいたいと思う。

 

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1月「とりくむ」

夏の外での活発な遊びの継続が運動遊びの挑戦となり、運動会での経験を通して、さらに子どもたちの挑戦は続いています。子どもは風の子ですね。

それと同時に、11月、12月は、たくさんのことに取り組みました。自発的に、自分から意識してものごとに向き合うこと――「取り組む」という行為は根気のいる行為です。それを、保育者とのかかわりとともに、子どもたち同士の関係の中にも活かし、支え合い協力し合って成し遂げていくことを経験してきました。あきらめずにがんばっていくことができるようになってきた子どもたち。継続的な取り組みは、ますます深められたものになっていきます。そのひとつひとつの経験の中で培われるものは、これからの人生を生きる力となりしなやかさとなっていくでしょう。

昨日はクリスマス礼拝を守り、子どもたちの心の内に来て輝く、まことの光であるイエスさまのお誕生をお祝いしました。それぞれが神さまのご用を担うその姿に確かな成長を感じ、喜びの一日を過ごしました。

家庭で迎えるクリスマスやお正月のある冬休み。子どもたちが園生活を暫し離れて、おうちの方々と豊かな時間を過ごし、それに伴う穏やかな心で新しい年を迎えることができますようにお祈りいたします。

新年、冬休みの家庭での様子を嬉しく聴きながら、また新たな冬ならではの遊びに取り組む姿を楽しみにしています。

 

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12月「喜ぶ」

キリスト教保育を礎とするこの幼稚園にとって、間もなく大きな喜びの12月を迎えます。振り返ると、春、夏、秋、子どもたちの喜ぶ姿にたくさんの勇気をもらってきました。

子どもたちは、おにぎりの日を守ることや、家庭や幼稚園の生活の中で、まだ自分たちの知らない場所や世界に、いろいろな人びとがいることを覚えていきます。そして、そんなお友だちのことを大切に感じながら祈ります。この年齢のおさなごが、会ったことのない人びとに想いを馳せる――なかなかできることではありません。きっと神さまを知っているからでしょう。会ったことはないけれど、たくさん愛していてくださる。それを信じ、自分の居場所を確かめ、受けとめられていることに安心して「ありがとう」が言える。感謝できることは喜びです。そうした日ごとの営みがあり、そのうえで積み重ねの時間として、クリスマスを待ち望むアドベントがあるのです。今までもこれからも、子どもたちと過ごす一瞬一瞬に、ともにいてくださる神さまの恵みを確かめ、喜ぶこと――。

私たち大人には、子どもたちの未来を守る使命と責任があります。子どもたちの純粋な喜びを、大人のエゴや私利私欲で妨げてはならない、顔を曇らせてはならない、と痛切に感じているところです。

罪多き私たちにも救いの手を差し伸べられる。つらく重い試練からも逃れる道を備えていてくださる。そんな愛の神さまに、遠い昔に救い主イエスさまの誕生を約束してくださった神さまに、心を委ね、歓喜の賛美をささげつつ、さあ、ご一緒に本物のクリスマスを祝いましょう。

 

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11月「ふかめる」

2010年度が始まってから半年が経ちました。

子どもたちの遊びの広がりや奥行きにも、目を見張るような豊かさが生まれています。また、運動遊びでもそうだったように、内的な遊びでもあきらめずに継続して取り組もうとする姿がたくさん見られます。そうして、何気ないと思われる日々の生活の中で、ふかめるために必要なたっぷりの時間の中で、豊かに培われていく自立と自律。吸収体のような子どもたちにとって、一日に、一週間に、ひと月に、そしてこの半年の中に、どれだけの心への問いかけがあったかを想像すると、それが意味をなす環境を整える者として、そこに寄りそう者として、あらためて身が引き締まる思いです。

子どもたちの内に、確かにふかめられていく育ちを受けとめ、尊重し、見守り、そこから学び、私たち大人自身もふかめられていくように努力いたいと思います。

収穫の感謝とともに、私たちをも育んでくださる神さまの愛に感謝しつつ、深まりゆく秋を感じながら一日一日を大切にいとおしんで丁寧に生きたいものです。

 

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10月「考える」

最近、じっと動かずに立っている子どもの姿を見かけます。年度始めに、することが分からずに立ちすくんでいた姿とは違います。どうやら、考えごとをしているよう。また、お友だちとの会話の中に、「~してみようか?」「~したらどう?」という話し合いが多くなってきています。確かに子どもたちは、考え工夫しているのです。

先月の保育主題「ためす」の中で、失敗してもだいじょうぶと思えるように――とお伝えしましたが、これは、やり直せる「自由」があるということです。

そして同時にここには急かさないゆったりとした「時間」があります。「考えること」や「工夫すること」は、そういう生活が保障され、日常の継続の中にこそ育まれるもの、培われるものであり、そんな力が引き出されるようなまなざしで寄り添いたい・・・私たちの大きな願いです。

やっと涼しくなってきて、体を動かす挑戦にはさらに熱が入ってきました。そこでもどうしたらうまくできるか考え工夫をして、そして精一杯努力しています。体が生き生き活動している内面で、心も輝き成長しています。できたこと(結果)もともに喜びたたえ、またプロセス(過程)の中で育まれた成長も見逃さずに、大いにほめてあげたいものです。

 

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9月「ためす」

小さな両手の握りこぶしを誇らしげに前に出して、「ど~っちだ!?まきせんせい!」とにこにこしながら聞くたんぽぽの女の子。小石が握りしめられていない方の手を、真剣に探る私。当ててしまうと、ダメダメっというようにからだをふって「もういっかい!」外れてしまうと、満足気に両こぶしをひろげて「もういっかい!」――このゲームは延々と続きます。なんとも楽しいためしっこゲーム。

だんご虫の探し方、積木の重ね方、ターザンロープの持ち方、牛乳パックのつなげ方etc. 子どもたちの『やってみよう』にはキリがありません。その発想の豊かさときたら――。

2学期が始まり、まだまだ残暑の厳しい中、子どもたちの『ためしてみよう』が幼稚園にひびき渡っています。9月はまた、季節の移り変わりを感じながら、遊びの中で体と心を十分に動かせるいい季節です。子どもたちが安心して、失敗してもだいじょうぶと思えるように「ためす=挑戦」してほしいと願います。

聖書の中に、サタンに試みられながら誘惑に打ち勝つイエスさまの姿をみます。子どもたちも私たちも小さい頃の遊びの中で、たくさんの経験をし、善いこと、悪いこと、大切なこと、守るべきこと、つまり"生きる力"を、きちんと神さまが育んでくださっていることに感謝しつつ、この2学期ものびやかに過ごしましょう。

 

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8月「ふれあう」

7月23日で2010年度の1学期が終わりました。このすばらしい季節の中、特に出会いの春があり、子どもたちはたくさんのことにふれあってきました。

園が夏休みに入ると、園生活とは違った時の流れの中で生活します。行ったことのない所へ行ったり、初めて会う人に会ったりすることもあるかもしれません。園は休みでも、会社や社会はそうではありませんから、おうちの方々は、変わりなく忙しい日々かもしれません。どこにもお出かけにならずに、家庭でゆったり過ごすのかもしれません。それでも、子どもたちにとっては、普段と違った人と流れによって、感性の幅を養われる時です。「時間をかける」「のんびりできる」といったことが難しくても、どうぞ気持ちのうえで、腰を据えて子どもたちがふれあうことに一緒にふれあってください。

また、子どもたちは、こちらで夢中になっているかと思えば、あちらで違う遊びを発見して没頭したりしています。そこには一見、個々のつながりのない遊びが存在しているように見えますが、お友だちとのかかわりだったり、遊びの幅の広がりや中味の濃さだったリ、毎日の中で積みあげられているものがたくさんあります。そして、子どもたちはそのことをとても大切にしています。

夏休み中のご家庭でも、1学期のお子さんのいろいろな人・物とのふれあいを大切に、継続して育ちに寄りそっていただき、園生活とは違ったゆったりとした生活と人のかかわりがあることで、子どもたちが心をかよわせ、生活を楽しむことができますように祈ります。
かけがえのない一人ひとり、また2学期、元気にお会いしましょう。

 

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7月「楽しむ」

心配事があったり不安をかかえていたりでは、楽しいことを心の底から楽しむことはできませんよね。子どもたちが本当に楽しそうにしている時、それは見守るおとなの眼差しの中に絶対の信頼を感じていることだったり、今在る所が安心できる場所だと思えることだったり、子どもがのびやかに育つための環境をおとなとして整えられている時・・そうであることを願います。

今日の礼拝は「養ってくださる神さま」というお話でした。小さな鳥や野の花は、昨日を悔やんだり明日どう暮らそうかと思い煩ったりしません。それでも生きるすべを神さまがお与えくださりお守りくださっています。ましてや私たちには『あなたを贖う(あがなう)』(イザヤ書43:1)と前もって約束してくださっています。

おとなの「今日」は昨日と明日の間のものになりがちで、それゆえに生かされている「今」を、喜び感謝することを忘れがちなのかもしれません。子どもは、一緒にいる私たちおとなも同じように楽しむことを望みます。お互いにより楽しくなる相乗効果です。うわべだけではすぐに見破られてしまいます。

私たちも想い出しましょう。精一杯の「今日」を生き心から楽しいと感じた時を――。落ち込む時、泣きたくなる時、つい人的な思いに振り回されそうになる時、いつも神さまがともにいてくださることへの信頼に心を委ねて、眼をあげて心から楽しめたら、より素敵な明日が待っているような気がします。神さまはそういう時をも備えてくださる方です。

 

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6月「みつける」

「もーいいか~い?」「まぁーだだよぉ~!」子どもたちや教師の声が響きます。「もーいいか~い?」「もーいいよぉ~!」
それっっ!弾かれたように、顔を覆っていた柱から飛び出していく『鬼』さんたち…。隠れている子どもたちはといえば、早くみつかることをどこかしら心待ちにしているよう。

自分だけのマークをおうちの方がつけてくれた、自慢の上履き探しをしたたんぽぽさん。よもぎだんご作りのために、たんぽぽさんやいちょうさんの喜ぶ顔を思いうかべながら一生懸命よもぎ探しをしたすみれさん。いつも見守っていてくださる愛の神さまを心に留め、ていねいに作りあげたイースターエッグ探しをしたいちょうさん。みんな、自分のものばかりでなくお友だちの分も探してあげて・・・歓声とともに一緒に喜び合って…。そこには、ゲームの到達点としてだけではない喜びが、五月晴れの空のようにすがすがしくありました。

私たちの周りには、目でみつけられるもの=目で確認し合って分かち合える喜びと、心でみつけられるもの=心が通じ合って分かち合える喜びがありますね。目に見えないものでも、「みつけた実感」を十分に感じられる…、むしろそちらの方が胸がふくらむことがたくさんあります。

みつけることにも、みつけられることにもわくわくの子どもたち。私たちも素直に純粋に、新しいことや改めて思い起こしたことにわくわくしましょう。迷ったときも悩んだときも、必ず探し出して名を呼んでくださる神さまを信じて…。

 

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5月「動きだす」

寒い冬の間、たくさんの生きのもたちが動きを止めていたり動きが鈍かったりします。人も然り、この頃ようやく暖気流とともに身体が軽くなって動きやすくなっていくのを感じます。新しい場所や関わりで園生活を始めた子どもたち、少しずつ緊張もほぐれ、やわらかな風とともに動きが活発になってきました。時や環境への適応力、それはもう大人の比ではありません。

身のまわりの小さな気づきから動きだす子どもたち。身をかがめて目線を低くし、そのはっとさせられるような気づきを共感しましょう。そして、その子に合ったタイミングまでそっと見守るしなやかさとおおらかさを持ちたいものです。行動として目に映る前に先だってそこにある、心の中ですでに始まっている見えない「動き」に想いを馳せ寄りそうこと、それが、子どもが「動きだす」時を自分自身で決められるように支えることにつながります。

今日のいちょうさん、園庭のお花の下でお弁当。「地はお造りになったものに満ちている」(詩編104編24節)創造主である神さまが等しく注がれる愛の中、世界にひとつだけの愛のお弁当をほおばる笑顔。

幼稚園もまさに動きだしています。

 

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4月「安心する」

3月に入ってからずっと足踏みしていた春が、ようやく近くまでやってきました。陽ざしに力が増し、木の芽の香りが漂い、うぐいすが手の届きそうな処で鳴いています。桜のつぼみもほんのりあずき色に丸みを帯びてきました。やっぱり春は希望にあふれています。

たんぽぽさんからすみれさんへ、すみれさんからいちょうさんへ、それぞれひとつずつ歩みを進めるすずらんの子どもたち。慣れた土地、仲良しのお友だちと別れる決心をして、ここすずらんで新しい生活を始める子どもたち。そして、初めてお母さんお父さんの手を離し、勇気を持って未知の世界へとふみ出す新入園の子どもたち。―――「だいじょうぶだよ。うれしいこと、たのしいことがたくさん待っているよ。」

今年度から、キリスト教保育の年主題がまた新しくなりました。
希望 ――愛の中を生きる――
昨年と同じように、神さまがお与えくださる月の保育主題に耳を傾け思いを寄せ、感じたことを毎月お伝えしたいと思います。子どももおとなもどの一人をもかけがえのない者として、愛し守ってくださる神さま。その愛には希望があります。

愛されること。子どもがこの時期だからこその自分らしさで、のびやかに過ごせること。一人ひとりが愛され、受け入れられ、喜ばれ、そのことによって「安心する」関係、時間、場所が保障されていること。私たち家族や保育者も、たがいに愛を持って支え合いながら築いていきたいと願っています。
今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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